Goosehouseにしかできないこと。音楽の原点。
Goosehouseというグループを知っていますか?
このグループは、現在、7人で活動しています。
一人一人がシンガーソングライターですが、まだ小さな音でもひとつひとつ合わせれば、もっと大きな音になるというコンセプトです。
Goosehouseは、多くの曲をカバーして、Youtubeに投稿しています。
一度聞いてみてください。
恋するフォーチュンクッキー/AKB48(Cover) - YouTube
どうだったでしょうか。
色々な意見があると思います。
一方では、音楽の楽しさを教えてくれること。
他方では、カバーで自分たちの人気取りをしていてずるいなど。
僕はGoosehouseが好きです。
しかし、嫌いな人も少なからずいます。
嫌いな人を無理矢理好きになってもらうことをしたいわけではありませんが、
嫌いな理由の中で、ひとつカバーはとてもいいものだということを言いたいのです。
人の曲をカバーすることは、その人が努力して作り上げた曲を、まるで自分の曲のようにアレンジなどして、披露することです。それで自分の注目を集める。
音楽においてコピーすることは、なんとなく毛嫌いされるといった場面があります。
しかし、一つの曲が完成されたとき、その曲は原曲となって、その場にとどまり続けていいのでしょうか。
どんなに素晴しいと思った曲でも、聴き続ければ、飽きてきます。
それは音楽に限ったことではありません。
人間関係も、スポーツも、仕事も。
例えば、同じ人と接していても、ずっと自分の小学校の頃の自慢話を聞かされていたら、どんなに面白くても飽きてきます。サッカーの練習で、ずっとドリブルの練習をしていたら飽きます。仕事で、同じ単純作業を繰り返しやっていたら気が滅入ります。
でも、僕たちが少しでも楽しいと思えるのはなぜか。
それは、他の新しいことにも目を向けているからです。
ある人は、今日小学校の頃の思い出話をしたら、明日、中学校の頃の話をする。
ある人は、今日、ドリブルの練習をしたから、明日、シュートの練習をする。
ある人は、今日は、タイピングをしたけど、明日は、営業をする。
そうやって色々なものを組み合わせて、物事を面白くしているのではないでしょうか。
音楽のカバーも同じです。
ひとつ生まれた曲に、飾り付けをしていく。
ただの木にクリスマスツリーの飾りををつけていくように。
原曲は原曲で素晴しいですが、それをまったく違う世界観で切り取る。
Goosehouseは、既存の音楽に違うものを足したり、いらないものを捨てたりして、新しいものを生み出しています。
僕は、それが音楽の原点であると思います。
音楽自体も、生み出すときには既存の組み合わせでしかないと、僕は思います。
だからこそ、カバーは音楽を進化させるひとつの手段であり、音楽の魅力であると思います。
ちなみにGoosehouseはオリジナルの曲もあります。
よかったら聞いてみてください。
Sing/Goosehouse(original) - YouTube